2011年4月30日土曜日

4月24日・ボランティア

4月24日、宮城県石巻市に2度目のボランティアに行って来ました。

東北地方はまもなく桜が満開といった感じ。
今回は、前回2番目に回った避難所に炊き出し&物資の輸送。
前回来た時は初めて物資が届いたとおっしゃっていたところ。

到着したら米軍の方達が来てました。
この方達は「楽器の演奏で皆さんの心を癒そう」という音楽隊
こういうのは避難所の方達にとってはとても気分転換になるみたい。

帰られる時はみなさん本当に喜んで手を振っていました。
そして僕等は物資の振り分け。今回は3か所に回ります。


そして炊き出しの準備




今回もまたトランジットさんがたくさん用意してくださいました。
この日はとても天気が良く、とても気持ちの良い日。
気持ちが良いから外で食べましょう! という事で

今回は中の様子も見せて頂きました。



この日は東京の自由ヶ丘から、ボランティアで美容室の方が髪の毛のカットにいらしてました。
これも避難所の方達にとってとても嬉しいこと。

そして2か所目の避難所の中学校へ。
物資を受け取って頂き、3か所目の場所に向けて移動。
前回も行った被害の大きかった鹿妻地区へ。
場所によってはまだ信号が動いていなく



倒壊した家屋や車は手つかずのまま。
津波で流された車には貼り紙が貼ってあります。
これは勝手に撤去できないので、車の所有者が撤去してよいかどうかの表示。

そして、3か所目は個人宅へ。


こちらのお家では、物資を細かくわけて近くのコンビニの駐車場で近所のみなさんに配っていただいてます。
今回は僕等も手伝い
みなさんが待つ場所へ。

すごい行列ができていました。
ここでも皆さんに喜んで受け取っていただきました。
前回訪問した時より、みんな、より元気を取り戻したように感じました。

今回の目的はこれですべて終了。
炊き出しチームのもとへ戻る際、石巻漁港を通りました。


2週間前よりは少し片付いていたけど、まだまだこんな状態。
でもこういう看板もたくさん増えていました。

がんばってもらいたいです!

今回は前回と違うルートで石巻を訪問。
仙台東部道路を走行。
途中、被害のあった若林区を高速道路の上から見ることとなりました。

また言葉を失いました。
僕らが伺った場所は、被災地の中でもほんの一部。
いろんな場所で大勢の人が大変な生活を強いられ、また、復旧復興に向けて努力しています。
日本中のみんなが協力して少しでも早く普通の生活に戻れるようにと再認識しました。
東北のみなさん、がんばれ!!

2011年4月17日日曜日

ボランティア活動(後編)

さて、他の避難所にまわる事となったのですが、ただ探して行けば良いというわけにもいきません。
地元の方のサクマさんに同乗して頂き案内してもらう事になりました。
石巻市の中心街を通る際もたくさんの方達が泥掃除や瓦礫の片づけをしていました。
まずは石巻中学校よりだいぶ内陸にある避難所。
ここも必要な物資だけ引き取って頂きました。
ここの施設の入口にいたこの子。

一緒に避難してきたのでしょう。仮のお家をつくってもらってました。
心が和む瞬間です。

そして次は被害の大きかった場所に移動する事に。
移動中、目にするのは

仮設住宅の建設現場や


自衛隊の方達の仮の基地。
このような自衛隊の拠点がいくつもあり、街中には自衛隊車両がたくさん走行し、
避難所にも物資を届ける車両が行き来してます。

サクマさんは「ここは戦場かと思う」ともおっしゃっておられました。

次のむかう避難所、鹿妻地区・渡波(わたのは)地区にある鹿妻小学校には、「あえて被害の多かったエリアを通りましょう」と言われました。
「テレビの報道などではご覧になっていると思いますが、生でみてください。」と。


津波によって流された車は、家や学校に。

こんな大きな船までもが住宅街に。

そして鹿妻小学校に到着。

避難所に行って感じた事のひとつ。
小さい子供から大人まで、これだけの事があったけど、でもそれを受け止めて
前向きに考えているという事。
石巻中学校でも鹿妻小学校でもこういう貼り紙が。


みんなが協力して、心を一つに頑張ってるというのを強く感じました。

そして最後のところへ物資を届けに。
ここもすさまじい状況に。

物資を全て受け取って頂き、石巻中学校に戻る事に。

そこで、サクマさんは「石巻漁港を通って、この辺りで最も壊滅的な南浜町を最後にみてください。」と。

石巻漁港は完全に機能停止状態

壊滅的被害の南浜町は



あまりに衝撃的な風景、想像しているより、テレビでみるよりはるかにショッキングな風景。
同乗している参加者全員、言葉になりませんでした。
何をすればこうなるのか。これは現実なのか。
「ここに町があったんです」「ここにも日常があったんです」とサクマさんはおっしゃっていました。

「いまでも遺品などをたくさんの人が探しにくるんです。家を建てる時に流されないようにって思って建てる人はいませんからね。」と。

今回のこのボランティア、いろんなものを見、いろんな話を聞いていろいろ深い事を考えさせられました。自然の驚異、津波のすさまじさ、人間の無力さ。普段、自分達がどれだけ小さな事で争い、腹を立てているか。
しかし、一方では皆が協力し合い弱いものを助けあう姿、思いやり、愛情。人間にしかできない事。
避難所にいた方達は声を揃えて言います。
「私たちが失ったものは大きいけれど、必ず復興してみせる!」と。
ご年配の方は「あなた達が生きているあいだにまた起こらないとも限らない。これを教訓にしなさい。」「ひとりひとりが協力すれば、みんなで協力すればなんでもできるから。」と。「復興したら、この辺は魚が美味しい場所だから、また是非食べに来てください。」とも。
一日でも早い復興をお祈りします。
僕らができる事、募金、節電など。ひとりひとりの力は小さいけれど、集まれば大きな形になる。自分にできる事をしようと思います。